活動の様子


百済王朝紀行(2014年11月16日~18日)

百済は三国時代(百済、高句麗、新羅)の韓国古代国家の一つで高句麗の王族である温祚(オンジョ) が韓半島の西南部に紀元前18年に建国し後に都をソウル(当時の漢城)に定めた。その後高句麗の南下、新羅の侵攻により都を今の公州(当時の熊津 ウンジン)に移した第25代百済王 武寧王(ムリョンワン 462年~523年)の時代は国力を回復し安定した時代が続いた。
次の聖明王は都を扶余に移し仏教を奨励し中国の南朝と文化を交流し欽明天皇13年(552年)日本に仏教を伝えたが次第に国力を低下させ663年白村江の海戦で日本・百済の連合軍は唐・新羅の連合軍に敗れ678年百済は滅亡した。しかし百済と日本の交流は現在の我々の思っているよりも深く又その洗練された文化は日本に大きな影響を与えた 特に飛鳥仏の原型は百済渡来のものが多い。

武寧王稜外観

武寧王

武寧王稜外観

武寧王は日本で生まれ40歳で百済王となり
その後23年間にわたり百済を繁栄させた。

武寧王稜

王冠の側面に付ける飾りで見事な忍冬唐草紋

武寧王稜は未盗掘で発見され内部は精緻な模様のレンガ造りであり、王と王妃の遺骸は日本製の高野槙である。

多くの金銀財宝等の埋蔵品が発見された。
上図は王冠の側面に付ける飾りで見事な忍冬唐草紋である 。
扶蘇山城 扶蘇山城
扶余にある扶蘇山城

百済滅亡時3000人の官女が山城の断崖より下の
錦江に身を投げた今そこにはお堂が建っている

百済時代の磨崖仏

百済時代の磨崖仏(瑞山磨崖仏)
中央は釈迦如来。
右端の珠を持つ菩薩は日本に金銅仏として渡来し後の法隆寺の救世観音の原型となる。
左端の半跏の菩薩はやはり金銅仏として日本に渡来したが弥勒菩薩、如意輪観音、観音等
呼名は確定していないが中宮寺の如意輪観音の原型となる。

飛鳥時代の珠を持った菩薩像 飛鳥時代の珠を持った菩薩像
飛鳥時代の珠を持った菩薩像 飛鳥時代の半跏の菩薩像

 

仏像彫刻やまと会トップページへ